永遠のPL学園 甲子園強豪校が消えた背景とは?

 PL学園といえば、桑田、清原のKKコンビに最近では前田健太を輩出した高校野球の名門校です。その野球部が一昨年夏に60年以上の歴史の幕を閉じました。

 かつて甲子園球場のアルプススタンドをPLの人文字で飾った強豪校は、2016年の地方大会で一度も校歌を歌うことなく最後の試合を終えたのです。

 最後の試合を戦った野球部員は12名。1987年に甲子園春夏連覇を果たし最強を誇った野球部がラストゲームを迎えることになった背後には何があるのか?

 

 

 

 PL教団という宗教団体と野球部との関係。カリスマ的存在だった教祖の死去。そして野球部内で繰り返される暴力事件・・・。

様々な問題が絡み合って、崩壊の道へと進んでいくようすに高校野球ファンならずとも「なんとかできなかったのか?」という口惜しさが湧いてきます。

 

 第23回ノンフィクション大賞受賞作。やっぱりノンフィクションはおもしろい!と思わせる1冊でした。

 

子どもは褒めて育てる⁉その先にあるものは…

小論文の課題文になっていたので

全文はどんなものかと思って読んでみました。

 

私が中高生だった昭和の時代は、何か悪いことをしたら(たいして悪いことでなくても)

先生のビンタが飛んでくるというのはよくあることで、中には竹刀や角棒を持ち歩いて、

ことあるごとに生徒を小突き回す先生もいたほど。

子どもが先生にはたかれた、と聞いたら親がお礼を言うような時代でした。

 

時代は変わり・・・

子どもの「悪い部分を矯正する教育」から、今は「良いところをほめて伸ばす」という教育が

主流になっています。

先生にボコボコに殴られて「俺、本気で叱ってもらったの初めてだよ~‼!」と生徒が泣きながら

叫んで更生する、なんてドラマは炎上必死で放送禁止レベルです(^^;)

 

しかし!

この本で著者は「ほめる教育が指示待ち人間を作り出す」という持論を述べて、

ほめる一辺倒の最近の流れに一石を投じています。

 

子どもがいいことをしたらすかさずほめて「えらかったね、よくできたね。今度はこんなことを

やってみよう」という感じで正しい行動に導く、という方法は

動物に芸を仕込むときに使う「道具的条件付け」という一緒だ、ということです。

「課題を与えられる→達成する→ほめられる」の繰り返しで行動が強化されることで、次第に

次の課題を待つだけの人間になる、と。

 

なるほど、確かにそうかもなぁと思う一方で、

今の子どもってもっと感覚が鋭いんじゃないかな?とも思うんですよね。

中高生にもなれば、

「ははーん、これはほめてやる気を出させる作戦だな」と見抜いて、それでも最近の子たちは

空気を読むのに長けているので、その場その場できちんと正しい行動をとり、大人の期待には応える。

指示通りに動くことに疑問を持ちながらも、期待に応え続けて疲れてしまう。

「指示待ち人間のふりだけ人間」だったりするのかも・・・。

考えすぎでしょうか?

 

自然な気持ちからほめることが子どもの自信となり、成長につながるというのは確かだと

思いますが、「教育」ということになると難しい点があるようです。

 

今は猫育てしかしてませんが(^^;)自分の子育てを振り返るいい機会になりました。

興味があれば…

 

何のために働きますか?

何のために働くのか?

 

高校生の小論文を添削しているのですが

仕事観を述べさせる 課題はとても人気で、

毎年多くの枚数を添削します。

 

だいたいは課題文がついていて、それをもとに

「社会貢献」「自分自身の成長」「生きがい」といったことを中心に

身近で働く人の姿を例として用いながら述べていく、というのが基本的なかたちとなっています。

高校生にとって

「身近で働く人」というのはほとんどの場合親なので、

どんな例をあげてくるかというと・・・

 

・母は「あんたの部活のお金と塾代のために働いているのよ」といつも言っている。

・「父は私たちのために朝早くから遅くまで働いています。」

など、が多いです(^^;)

確かに…とうなずいてしまうのですが、

ここから「社会貢献」や「成長」につなげるのは生徒にとっては至難の業!

そこで、母親の仕事が看護師だとしたら、

看護師という仕事に対してどういう思いで働いているのかを考えていくといいよ~、という添削をします。それでなんとかなるはず・・・

 

この課題をやっていると、

子供のためにがんばっている同世代の親御さんたちの姿が目に浮かんできて、「がんばれ!」と思わずにいられません。

社会貢献?自分の成長?

何のために働いてますか?

働く大人たちの書く小論文が読んでみたいです。

添削のお仕事してます

5年ほど前から高校生の小論文添削のバイトをしています。

そこでお題となったことや、今の高校生が何を思っているのか、などなど
思ったことをここでは書いてみたいと思います。
 
今回の課題は「格差社会について」
最近よく話題になります。
日本では、1970年頃に「1億総中流」といって国民の大多数が自分を中流階級だと考えている
という時代がありましたが、今は貧富の差が拡大して
「金持ちはさらに金持ちに。貧しい人はがんばっても貧しさから抜け出せない。」といった状況が起きています。
この課題では所得格差が広がる背景には「機会の不平等がある」としていて、
まずは「機会が平等でなはい、と思われるどんな例がありますか?」というのを生徒に考えさせるのですが宿題に集中できない小学生
 
妥当な例としては
・家庭の経済状況により進学をあきらめる。
保育所に入れない、など子育てとの両立が難しく働きはじめることができない。
などがあるのですが
 
高校生が上げる例で多いのは
・容姿が良くないために面接に落ちる。
・国籍による差別で雇ってもらえない。
 
身近にこういうことが多いのかなぁ、と思うのですよ。
本当にこれが雇う側の理由であるならば「機会の不平等」ということにはなるのですが
これだと解決策が提案しにくいので「上の2つのようなことを考えようね~」という
添削になるのです。
 
模範解答よりも
高校生の書いてくる方が世相を表している、というのはよくあることで、
「まあ、実際はそうだよね~」と思いながらも無難な解答へ導く、という半分むなしい作業でも
あります。
 
もっと言ってしまえば
みんながお金持ちになることが幸せなのか?という考え方もあるわけで・・・
 
 
などなど、いろんなことを考えながら今日もカキコキ添削をしております(*^-^*) 続きを読む

中学校の修学旅行、民泊について

民泊つながりでもう一つ。

中学校の修学旅行といえば、京都、奈良、ついでにUSJといった感じのがよくあるパターンですが、最近ではある地方に訪れて農業体験や漁業体験などをして、夜は民泊を受け入れている一般のご家庭にグループに分かれて泊まらせてもらう、というのが人気だったりします。

うちの子供も中学生の時に長崎のとある漁村に民泊に行きました。体験内容や食事、泊まる環境は割り当てられたご家庭によるので、体験する内容はみんな同じというわけではありません。うちの子は海釣りや郷土料理を作るなどの体験をして、楽しく過ごし帰ってきた記憶があります。

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 ・・・で、以前、職場で自分の子が修学旅行の民泊でひどい目にあったと憤慨している人の話を聞いたことがあった。

その人の子供が泊まったご家庭の食事が他のお宅と比べて質素だったこと、そして布団はせんべい布団で部屋も物置みたいだったいうのを子供から聞いて、同じお金を払っているのにおかしい、ということだった。それを聞いているほかの人たちも「それは、ひどい!」と同調していたのだが、

この修学旅行の目的は子供たちがよそのお宅に泊めてもらい、日常ではできない体験をすることで、視野を広げ成長を促すというものでしょう。当然、おいしいものを食べて快適な部屋に泊まることではないはず。

後日、その人は学校に言って費用を返金してもらったそうで、それが原因かどうかわからないが翌年からは「京都・奈良・USJ」コースに戻ったとか。

自分たちを泊めてくれて、食事や部屋を用意してくれた民泊先に文句を言って、お金を返してもらって満足している親を見て、子供は何を学ぶのでしょうか…。

こっちの民泊もそのうち無くなってしまうかもしれないですね。

Airbnbでゲストを迎えた感想を書いてみる

前回の記事でAirbnbについて書きましたが

今回は私が実際にゲストを泊めたときの体験をお話したいと思います。

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ゲスト到着

Aibのホームページから予約が入ったのは当日の1週間ほど前。

部屋の準備をしてドキドキしながらゲスト到着を待っていると、迎えに行った

息子がポルトガル人の男性を連れてやってきました。

お互い、挨拶を済ませ部屋の中の説明をする。

うちは4LDKのマンションなんですがゲストが使用できる部屋は

キッチン、バスルーム、ゲスト用の部屋に限定。お風呂はいつでも使用可。洗濯は

必要であれば使い方を教えると伝えましたが彼は使いませんでした。

到着が夕方だったためそのまま彼は食事のため外へ。

遅くなるかもしれない、ということで鍵を渡しました。

鍵について

ここで、問題なのが「鍵」なんです。

最初は鍵を渡すのは抵抗があったのですが、実際ゲストを迎えて話してみると大変印象

良かったことで渡すことにしたんです。結果、とくに問題はなく、彼は12時過ぎころに

静かに帰ってきてそのまま部屋で過ごしていました。

交流

翌朝、簡単な朝食を作ってあげると喜んで食べてくれて、日本にきた理由や、彼の普段

の暮らしなどについて話しました。

日本にとってポルトガルは鉄砲伝来?とか歴史の中にほんの少し出てくるだけ、という

感じなんですが、ポルトガルにとって日本は重要な貿易国として(日本にとってもそう

なんですが)歴史に頻繁にとりあげられる遠くて身近な国なんだそうです。

そんなことから日本に興味を持った、という話などを興味深く聞きました。

ゲストとのこのような交流は視野も広がり、海外旅行に行ったのと同じような新鮮な

空気を我が家にもたらしてくれました。

感想まとめ

翌日、彼は我が家を旅立ち、次の旅行先へと向かいました。

はじめてこの体験をして思ったのは、とにかく楽しかったこと。

そして、どんなゲストを迎えるのかをしっかりと見極めることが大切だと思いました。

予約が入った時点でその人が公開している情報やSNSを見たり、メールでのやり取りを

しっかりすることです。その点では英語がそこそこできないと厳しいかもしれないで

す。でも、今は翻訳ソフトなどもありますしそこは努力次第。

ゲストへの対応は基本ほったらかしがいいというのもあります。あまりあれこれ世話を

焼くのではなく約束だけ守ったらあとはご自由に、というスタンスがこちらも楽です。

自分たちは通常の生活をすることでよりリラックスしてもらえるということもありま

す。

金額設定は1泊朝食付で6000円。宿泊日の初日に振り込まれていました。

設定金額はホストの自由です。

空いている部屋をほんの間必要としている人に貸してあげて収入を得る。

よくできたサービスで、うまくやれればほんとにおいしいビジネスだな、というのが

感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Airbnbについて思ったこと

東京オリンピックに向けて外国人観光客の宿泊施設として期待されていた

エアビーですが、ちょっと当初私が思っていた方向とは違う感じになっているようです。

海外でエアビーを利用したことのある人に話を聞くと、

海外のエアビーは格安で自宅の一室を提供する、「ホストと旅人との交流の場」という

意味も大きいそうです。

ゲストが「現地の方が普通に暮らす家に泊まって日常を経験できる」ということが

エアビーの醍醐味であるともいえます。

 

でも、今日本で増えているエアビーはアパートの一室を宿泊施設としてまた貸しする

というもの。ホストではなく貸主は単なる管理人という立場です。

これでは、ゲストは安いホテルに泊まっても同じですよね。

 

 なぜか…?

それは日本人が「知らない人、ましてや知らない外国人」を家に入れることを

極端に嫌がるからじゃないでしょうか。よく、ヘルパーさんが家に来るのを嫌がるお年

寄りがいると聞きますがそれと同じ感覚なのでしょう。

 

私は今一人暮らしで猫を飼っているのですが、旅行に出るときにはペットシッター

利用します。その方がペットホテルを利用するよりも猫たちにとっては快適だからです。

このことを友人に話すと「信じられない!」と驚かれます。心配じゃないのかと。

もちろん、シッターさんを選ぶときはちゃんと面接をして細かい契約をかわしています

が何より大事なのはその人の評価をネットで確認できることです。利用者の評価がその

人の信頼度になるわけです。

エアビーも同じでホストやゲストの評価が信頼できる人なのかどうかを判断する材料に

なっています。評価が下がればゲストは宿泊を拒否されるし、評価が高ければ世界中の

どのエアビーにも泊まれるようになれます。

 

ところが、次なる壁は、

みんなネットの口コミが大好きで、食べログの評価でレストランを選ぶのに、こと人に

関すると「ネットの評価なんて当てにならない」となってしまうことです。

そして、ニュースでは民泊を利用した中国人のマナー違反ばかりが放送される。

その結果、自宅にゲストを迎える人はなかなか増えず、宿泊施設のようなエアビー

ばかりが増えていく、ということなのではないでしょうか。

 

なんだか、残念な感じです。

日本が好きで日本に来てくれた人と交流できて、喜んでもらえて、しかもお金が貰える

というすごく良いシステムなのに…。

 

次回は私自身がゲストを泊めたときの経験を書いてみたいと思います。